
AIというキーワードが新聞雑誌を賑わせて出してから3年くらいだろうか。
もっとも、今のAIは囲碁や将棋には勝ったり、絵に彩色をしたりという「作業」はできても、コミュニケーションや芸術といった分野にどう出て行けばいいのか、まだ手がかりもない状況だ。
しかし、いつの日か人間と同じように考え、悩み、行動するAIが出現し、人間とともに暮らすようになったらどうなるのか。
幸福とは何か。愛とは何か。
生き甲斐とは、人生とは、友とは、親とは、悪とは、善とは、・・・。
人間と同じような心と、機械の体を持つAIは、人間が抱えてきたこれらの問いを、やはり抱くのだろうか。
そして、それをどう解決するのだろうか。
「AIの遺電子」は、SFにありがちな人間対AIといった図式は用いない。
舞台は、AIと人間が共存し、当たり前に互いにコミュニケーションし受容しあうという世界だ。
映画「ターミネーター」の世界ではなく、かつて大人気だったペット型ロボット「AIBO」の延長上にある世界。
その世界の中で、人間の亜種としてのAI、「ヒューマノイド」が人間と同じように悩む姿を描く。
その悩みは一見ヒューマノイドの悩みだが、人間の悩みに容易に翻訳可能な内容で、道具立てはAIではあるが、内容的にはヒューマンドラマになっている。
主人公はヒューマノイドの故障(主に頭脳の)を扱う「医師」だが、ストーリーはむしろさまざまな「患者」のほうが主役となる一話完結で、星新一のショートショートを思わせるような起承転結がある。
舞台設定を興味深くしているのは、ヒューマノイドのほかに、あくまで召使(スマートな奴隷)としての役割を持つ「産業AI」(いわゆるロボット)が登場する点で、人間やヒューマノイドの「人間らしさ」を際立たせている。
技術者にも(むしろ技術者にこそ)お勧めの作品だと思う。
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