先日、「地球が天国になる話」という本の話を書いた。
この本は自分や他人の「劣等感」からいかに逃れるか、みたいなテーマを持っている。
劣等感からくる「イライラ」が人を傷つけずにはいられなくさせる。
特に、親が子供を傷つけてしまうのは深刻だ。
自分がそうなったり、あるいはそういう人が周りにいるとき、どうするか。
そんな話。
ただ、劣等感と言っても、「俺はだめだ」みたいな、自意識に上っている劣等感ではない。
じゃあどんなものなのか? それを「劣等感」と呼ぶのは適当なのか?
実はこの本では、そこのところは今ひとつ明確には説明されていなかった。
なのだが、先日たまたまこういう記事を読んで、やっぱり劣等感なのだなあ…と納得した。
職場不倫がバレるとき (遥洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」)
この記事は、職場不倫の話などしていない。それは前フリにすぎない。
周りにいる、劣等感からイライラしている人にどう対処するのか。
そういう話。
イライラから攻撃的になる行動を、言葉による攻撃もふくめて広義のDV(家族や職場の部下などへの暴力行為)とみなし、それへの対処をこう述べている。
相手を“見下げる”ことから始まるDVの構造を理解すれば、実は“自分は優れていると思いたい”の裏返しでもあることが分かる。
だから一見矛盾しているようだが、暴力を振るった男性には「あなたは正しい。悪くない。家族もまたあなたを理解していない」と言ってあげることで苛立ちは沈下する。同時にそう言ってくれる人間への信頼も芽生え、そこで始めて抑止が力を持つのだ。
暴力を振るう男性に送る“礼状”とは、リングにタオルを投げ入れるのと似ている。
「もう殴るな」ということだ。
“自分は優れていると思いたい”これはやっぱり劣等感と呼ばざるをえない。
この記事を読んで、もう一度「地球が天国になる話」を読んで、ようやく得心がいった。
ちなみに、こういう暴力を振るうのは男性とは限らないよ。
母親とかでも構造は一緒。
このblogにはあまりそぐわない話のような気もするけれど、本の紹介のつづきということで。
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